斎藤茂吉
「三筋町界隈」(文藝春秋昭和12年1月号に掲載)(前部分省略  以下括弧内掲載者注)

 それから佐竹の通りには馬肉屋が数件あったが、私はそういう処に入ることを知らなかった。ただ市村座(旧下谷二丁町1番地、現台東1丁目5番付近にあった)の向かい側に小さい馬肉の煮込みを喰わせるところがあり、その煮方には一種のコツがあって余所では味わえない味を出していた。(中略)

昭和元年ごろ、年の暮れにも一度見て通ったことがある。その時には市区改正の最中で道路が掘り返され、震災後のバラック建てであるし、ほとんどもとの面影がなくなっていた。私は泥濘の中を拾い歩きてしかろうじて佐竹の通りに出たのであった。

(以下鳥越、三筋界隈の思い出話が続く。斎藤茂吉は明治15年現山形県上山市生まれ、才能を見込まれて下谷区東三筋町(現台東区三筋1-3-2付近)の浅草医院斉藤家の婿養子となる。精神科の医師で歌人。斉藤茂太、北杜夫の父。後に文化勲章を受けた。昭和28年死去。「三筋町界隈」は茂吉の追憶随想として書かれた文)